オフワンスペシャルインタビュー Vol.4(後編)
ほぼバイクとレース一色の学生時代をすごした山下さん。自分でモディファイしたバイクが乗りやすくなったり、戦闘力が上がることを我が身をもって実感したことで"より良いバイク作り"にますます熱中していく。大学を卒業後は趣味でレースとモディファイを続けながらサラリーマンとして働く道を選んだが、30歳を過ぎた頃に"本腰入れてバイクの仕事をしようか"と思いはじめる。それは学生時代に世話になったある人との再会がキッカケだった。
旋盤の修理もレバーの曲がりも
あきらめずに続ければ必ずナントカなる
大学卒業後は会社勤めをされたと聞きましたが、レースやバイクのモディファイは続けられたんですよね。
「ええ、趣味というか仕事以外の時間を使ってやってましたよ」趣味といってもCL72の足回りを作り変えて戦闘力を上げる山下社長ですから、かなり本格的にやっていたんじゃないですか?「そうですね。趣味というには時間と手間とお金を使いましたね(笑)。手でヤスリを動かしながら金属を削ったり、形を作り出したりしていましたが、仲間や多くの人のバイクを手がけるようになると、やはり工作機械が欲しくなります。しかし旋盤やフライスなどの大きな機械は若いサラリーマンの給料で買えるほど安くありません。あきらめかけていたら、24歳くらいのときに偶然に安くで旋盤が手に入ったんです。知り合いの金属加工業者が古くなった旋盤を買い替えるという話を聞いて、ゆずってもらいました」
それはラッキーでしたね。
「幸運なことに間違いはないのですが、手に入ったときその旋盤はバラバラの状態だったんです。捨てるつもりだったので分解されていたんですよ。『部品はネジ1本まで揃っているから』と言われて引き取ったんですが、組み立てるためのマニュアルもなければ教えてくれる人もいない。旋盤をさわるのもはじめてだったので、まさに手探りの状態から組み立てていきました。根気よく続ければ何とかなるもので、引き取って1年後には組み上がっただけでなく、素人のくせに旋盤メーカーで働けるほど仕組みや部品について精通するようになったんです」
すごい話ですね。旋盤が手に入って作業効率がグンと上がったんじゃないですか?
「すぐには上がりませんでした。組み立てただけでは完全ではないんです。中古の旋盤ですから各部に不具合がありました。最初に発覚したのは材料を乗せるスライドベッドに歪みがあって、例えば長い棒を削っていくと先端と後端では違う痕跡が出てしまうんです。この誤差が発見できたのは、学生時代にCL72のモディファイを経験していたからでしょうね。手作業でバルブを削ったときに出る"明らかに均等でない"という模様に似ていたため、その誤差に気付けたんです」
そして1981年にいよいよ東京・世田谷でショップをオープンさせますね。
「学生時代にモトクロスのレースに出ていたんですが、まわりがみんな戦闘力の高い新型のカワサキで出場する中、ひとりだけ4ストのCL72でがんばっていたボクに、DT1を貸してくれたヤマハの人がいたんです(詳しくは前半に記述)。その人が昇進して東京で販売や営業の仕事をするようになり、ある日、ボクの家に来たんです。久しぶりに会ったんですが、ボクが仲間や知り合いのバイクを修理したりモディファイしてると聞いて、彼は本格的にバイク屋になることを勧めてくれました」
それまでは趣味の延長だったのが、とうとうショップという形になってバイクの仕事が本格化したんですね。
「そうですね。そのヤマハの人がいなければ"ショップとしてやろう"と思わなかったと思います。それではじめてはみましたが、最初はそれほど順調にはいきませんでした。なにしろ商売に関する知識がまったく無いんです。販売店ですからメーカーから納品があって、月末には支払いがある。そんなことも知りませんでした(笑)。だから経験者を雇って、店のキリモリはその彼に任せていたんです。おかげで私はバイクの修理やサスペンションのモディファイなどに集中できました」
そして2003年に現在の多摩川沿いに移転して、さらに規模拡大してきましたね。
「現在の場所は工場の認定が可能だったり、機械を動かすための電力を合法的に引くことのできる場所......という条件優先で探した物件でした。それに加えてボクにとっては、若いとき走り込んだ多摩川の土手に面している、ということが気に入ってココに決めたんです」
これからもサスペンションをはじめバイクのモディファイや、パーツ製作を続けていきますよね。
「もちろん続けます。ウチのウリは"何でも直します"ですから。直らなかったら大問題。ひとつひとつの仕事が勝負ですよ。これからも厳しい条件のモディファイや、作るのが困難なパーツの依頼が来ると思います。しかし"作れる"と思って作業すれば作れないものは無い、というのがボクの基本的な考えですから、これからも可能だと思うかぎりは続けるでしょうね。幸いなことに過去に多くのサスをバラして研究してきた積み重ねがあるので、少し変わったオーダーが来ても驚きません。逆に見たこともないサスの修理依頼が入ると"どうやってやろう"と燃えますね」
その自信というか、気持ちの強さには驚きますね。
「ボクは子供の頃から野次馬根性というか、何でも自分でやってみたいという人間だったんですよ。子供の頃のオモチャはすべて自分で作っていました。飛行機はプラモデルではなく、バルサ(模型用の軽量な木材)をナイフで削ってソリッドモデルを作っていましたから。時間はかかりますが、完成したときの喜びは大きいんですよ。もちろんバイクのモディファイも、市販のパーツが無ければ自分で作ったし、コースで転倒して壊れたバイクは現場でなんとかしてきました」
現場で......というと、工具や設備が揃っていないから不可能な修理もありますよね。
「溶接が必要なものとかはムリですけど、可能なかぎり現場にあるものを利用するんです。それは多摩川で練習しているときに学びました。あるとき、ジャンプで転倒してフォークが曲がったときはバイクを木にくくりつけて、車でフォークを引っ張って曲がりを直したんです。"なんとかしよう"という気迫があればなんとかなります。そういう荒っぽい修理は完全には直りませんが、その日の練習なりレースを走るためには必要な処置です。あきらめたら、その日はそこで終わりじゃないですか。それはつまらないよね」
確かに。せっかくコースまで行って最後まで走れないのは本当にツライです。
「レバーが曲がって工具が無くても、石が2つあれば根気よく叩いているうちに使えるようになるんです。これは若い頃、多摩川で練習していたときいつもそうしていたんですが、今でもそういう気持ちで仕事してます。ボクね、何も無い未開の地にバイクで行って、故障したとき"なんとかしろ"って言われたら、その場でなんとかする自信があるんです。今までもそうだったし、これからもそうだから(笑)」
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