オフワンスペシャルインタビュー Vol.5(前編)
何でもイイの、バイクであれば
とにかく乗るのが好きなんだよね
時速140kmでコーナーに進入し、前後輪をスライドさせっぱなしで脱出していく。イベント時にダンディ加川が見せる走りは衝撃的だ。アスファルトの路面で横を向くバイク。意識的にグリップを失わせつつコーナー出口にバイクを向けるスロットルワーク。きっと日頃から秘密の特訓を重ねているのだろうと考えた取材班は、その内容を本人から聞き出そうと彼が運営する栃木県宇都宮市にある加川ダートオーバルを訪ねた。
ここは一般の人も走れるんですか?
「もちろん。走行料金さえ払ってくれればイヤというほど走れます」
加川さんは普段からココで練習してるんですか?
「ココだけじゃないけど、主にココで練習してますよ」
でも、ココだと長いストレートが無いし、アスファルト路面が無いからスーパースライドの秘密特訓ができませよね。
「練習はできますよ。ここでの練習が本番で役立つんです。どんなに長くバイクに乗っていても、一番大切なのは基本です。この約200mのオーバルを何周も何周も走ることでバイクをコントロールする感覚を磨いてる......そんな感じかな」
なるほど。じつはイベントでのパフォーマンスを見て、かなり特殊で激しい練習をされてるだろう......と勝手に想像してしまいました。それでは、スーパーパフォーマーな加川さんがどのように作られたか教えてください。生まれはどちらですか。そしてバイクに乗るようになったキッカケは何でしょう。
「出身は埼玉県川口です。小中高と学校も川口市内。オートレースで有名な川口オートはよく親父に連れて行ってもらいました。高校卒業したらオートレーサーになりたかったけど、適正審査の身長をオーバーしてて(つまり身長が規定より高かった)受験できなかった。残念だったけど、そこは気持ちを切り換えて普通に就職しました。ホンダの自動車ディーラーに。バイクに乗りたくなったキッカケは......とくに無いです、と言ったら変だけど子供の頃から自然にバイクが生活の中にあったんですよ。ヒマさえあれば親父のカブにまたがってたし、小学生になってエンジンを始動できるようになると駐車場で走らせてたしね。じつはバイクの免許を取ったのは高校3年になってからだけど、中学生時代から無免許で乗り回してて、よくお巡りさんに捕まったんだ。当時はスクラップ屋へ行くとボロボロのカブを300円くらいで売ってくれた。イイ時代だよね。少し直して走れるようになると、ガソリンが無くなるまで走ってた」
やっぱり走ってばかりいたんですね。やはり上手くなるには、とにかく乗りまくれ......てことですか。
「だと思いますよ。たくさん乗ってバイクの動きを身体が覚えて。コントロールするのはその次の段階ですよ」
今はイベントでパフォーマンスを披露したり、ダートトラッック選手権に出場していますけど、若い頃からレースに出ていたんですか。
「1985年にホンダからFTR250が発売されて、ダートトラックのレースがはじまったんです。そのとき30歳でしたが、それまでレースに出たことはありませんでした。ロードレースやモトクロスにも興味はあったけど、ダートトラックほどの魅力は無かったんじゃないかな。ダートがはじまったとき『やっとオレが出るレースがはじまった』って感激したもの。ダートトラックをはじめる以前はレースには出ていなかったけど、バイクにはずっと乗ってました。仕事はホテルマンとか料理人とかイロイロ変わったし、勤務地も北海道とかイロイロ移ったけど、常にバイクは何かしら乗ってましたね。ガソリンが無くなるまで走り続けるというスタイルは、基本的に子供の頃と同じでした」
どんな車種のバイクに乗っていたんですか。
「ホンダ400FOURからXLR、DTとか色々乗りました。車種は何でも良かったんですよ。とにかくバイクに乗りたかっただけだから。『このバイクに乗ろう』とはじめて意識したのはFTR250ですね。レースをはじめたから、という理由もあるけどダートトラックを練習し続けていたので、壊しては買い直しの繰り返しで通算5台くらい買いました。すごく楽しくて熱中したダートトラックだけど、当時はFTRが売れなかったということもあって、シリーズ戦は途中で終わってしまったんです。参加人口も少なかったしね」
それで、どうしたんですか。
「レースは開催されなくなったけど、自分でダートトラックを続けました。といってもFTRで走り続けるってだけのこと。少ししてセーフティパーク埼玉(通称"オケガワ")に200mオーバルが出来たと聞いたので、毎日通って走りました。ある日、施設の社長から『毎日来てるみたいだけど、仕事何してるの?』と聞かれて『日雇いとか、適当にやってます』と答えたら『だったらウチで働きなよ』と誘ってもらったんです。仕事の合間に走れるので、趣味と実益を兼ねるという感じでうれしかった。社長もダートトラックがもっと盛り上がってほしいと考えていたけど、実際にはあまり人が集まらなかった。情報が少ないとか、敷居が高そうに見えるとか、イロイロな原因があったと思うけど、残念ながらセーフティパーク埼玉は閉鎖。でも走る場所を見つけながら、ダートトラックは続けてましたよ」
イベントでパフォーマンスをすることになったキッカケは何ですか。
「オートスタッフ末広という千葉のバイクショップから"GLUGLU850"というバイクを作るので協力してほしい、と頼まれたんです。完成車のお披露目の前に『ダートでデモ走行を行うから、そのときスライドするところ見せられる?』と言われました。250ccのFTRでは毎日走っていましたが、正直言ってTRX850のエンジンを載せたオリジナルフレームの"GLUGLU850"で同じように走るのはムリだと思いました。でも雑誌の取材がたくさん来ていたので、末広さんのことも考えると『やらない』という選択肢は無かったんです。事前に一切練習はしていませんが、コーナー脱出時のスライドは一発で決まりました。身体で覚えたバイクの動きは、排気量の大小にあまり影響されない。このときあらためてそう思いました。そしてこのイベントでモトショップ五郎の吉澤さんと知り合ったんです。やがて彼の主催するイベントでパフォーマンスを披露することになりました。"ダンディ加川"というリングネームのような名前で呼ばれるようになったのは、その頃からなんです」
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