
1月10日(金) ステージ4 モロッコ
アッサ~スマラ 404.52km

増田まみは自力でラリーを追う
ステージ2のメルズーガで大幅タイムロスし、ショートカットしてなんとかステージ3をスタートした増田まみだったが、ステージ3を終えることができず、ステージ4のスタートにも間に合っていない。安否が心配されたが、なんとか自力でステージ4のフィニッシュであるスマラのビバークに向かっているとのことだ。ラリー参加者の所在は、プレスやアシスタンスカーも含めてイリトラックという位置情報システムで管理され、かつ内蔵の衛星電話もあるので、基本的にはバイクと一緒にいる限り、所在不明になることはない。大塚正樹もステージ4をスタートした。
乾いた風の中に立って
今日は取材者としての個人的な思いを書くことを許してほしい。モナコ、イタリア、そして海上移動。モロッコに上陸して、このステージ4で4日間が経過した。モナコのスタートから数えて7日間という日程は、他のラリーイベントであればすでに最終日になっているか、あるいはそろそろ終盤といったところだ。しかし、このアフリカレースでは、まだ序盤である。試練を乗り越えたライダーたちがダカールにフィニッシュするまで、あと10日間を残している。改めて、このラリー、そしてかつてここで行われていたパリダカールラリーの壮大さに気づかされる。移動距離は時に1日800kmに及び(ダカールラリーでは1000km超のこともあるが)、ダカールに向けて、ほぼ直線的に南下している。自然相の違い、民族、人種、文化、文明の違いを肌で感じながら、乾いた風の中をひた走る。このラリーには終わりがないのではないか、と思うほどに長く感じる瞬間が何度も何度もある。
かつての挑戦者たちに思いを寄せる
参加者に求められるスキルも、たぶん他のラリーに比べてけた違いだ。レースのスキルが必要なのはもちろんだが、それを発揮するためには、旅の中での基本的な生活の能力と生命力。そして周到な準備が必要だ。あらゆることが起こる可能性があるのに、一切のミスが許されない。少し遅れ始めると、ラリーはあっという間に数百キロという単位で脱落者をおいてけぼりにして、容易なことでは再び追いつくことはできない。いくつもの国境を越えて、脱落者はどうやってダカールにたどり着けばいいのか。これはまったくもって、距離の長いエンデューロなんかではない。かつて、北アフリカ時代のダカールを走ってきた人たちの偉大さを、今更であり、かつたぶん片鱗だけであろうとは思うが、知ることができる思いだ。なかでも思うのは、ライダー1名、メカニック1名という体制で挑戦し、3度とも完走、しかもファクトリーチーム陣のすぐ後ろに食らいつく順位を奪いベストプライベーター賞まで得た三橋淳のことだ。どれだけの努力と、どれだけの準備がその背景にあったのかということを。

リンドン・ポスキット
ライオンキングの風景、その後は
モロッコが実効統治し、まぼろしの国と呼ばれることもある西サハラ。ステージ4は、スマラのビバークまでの約480km、ルートインフォメーションには「美しく、走りやすい1日。アベレージも高いだろう」と書かれていたが、なかなかタフな走行が続いたようだ。特に後半は使い込まれたピストが続き、フーフス、また砂とこぶし大の石の路面で、実際にはアベレージ60km/hが精一杯という感じだったようだ。杉村晋吾は「今日は無理せずに体力を温存する作戦で走りました。でもけっこう疲れましたね。路面が荒くてペースが上がりませんでした」。杉村は43位でフィニッシュ。資延哲規は52位、「序盤はライオンキングみたいな風景できれいでしたよ。でも、そのあとはずっとタフなピストでした。キツかったですよ」と話す。スタートしてまもなく電動のマップホルダーに故障が発生し、マップを手動で操作しながら400kmのSSを走るというハンデの1日だった。

資延哲規はHusqvarnaのラリーコンプリートマシンを駆る

杉村晋吾のFE450
SSVクラスの菅原義正・羽村勝美組は、昨日、ミスコース、ガス欠で大幅タイムロスしてしまったが、今日は順調。4輪54台中、総合34位につけている。2輪ではリンドン・ポスキットがステージ優勝し3位に浮上。現在までの首位はアレッサンドロ・ボットゥーリで変わらず、2位はパルアンダース・ウレバルセター。ビバークは現在21時。参加者も主催者もビバークの生活に慣れ、リラックスした雰囲気に包まれている。明日はダクラまでの780kmのロングステージだ。
AER2020 ステージ4
youtu.be