クシタニのフォワードアドシリーズは日本ではオーバースペックだ、とクシタニさんに言われた。ならば、過酷に攻めてみようではないか。というわけで僕は慣れない土地のハイスピードツーリングへ出かけてみた

ツーリングを甘く見るな

ツーリングと聞けば、青空の下を爽やかに駆け抜ける、誰でも楽しめるお手軽レジャーを思い浮かべる人が多いだろうが、過酷なツーリングというものも存在する。大学時代、ツーリングクラブで叩き込まれたのは、免許取得直後の初心者を短期間で上級ライダーに変貌させる、スパルタ式のツーリング哲学だった。正丸峠や奥多摩の名だたる峠道はもちろん、舗装がボロボロに崩れた林道まがいの険悪な山道を、白バイ隊員のような滑らかさで駆け抜けることが求められた。安全性への配慮は当然として、その上で極めて高い技術レベルを目指すという、妥協のない世界だった。転倒したら月一回の定例会で先輩達につるし上げを食らう。速く走るも地獄、しくじるも地獄である。

泊まりのツーリングは、さらに楽しくも辛い思い出だ。日中の過酷な山道走行で心身ともにボロボロになった後も、夜は自炊、酒を飲んで騒いで、翌朝6時には出発という狂気のスケジュール。疲労との戦いそのものだった。特にオフロード要素が加わると状況は悪化の一途を辿る。林道走行では大量の発汗と急激な冷却という、まさに登山と同じ体温調節の難題に直面する。若さと根性だけでは限界があることを、身をもって思い知らされた。装備の重要性を痛感したのも、この血と汗にまみれた青春時代だった。ただ、お金は無かったので、いつだって装備は貧弱だった。

近年人気のSSTR(サンライズ・サンセット・ツーリング・ラリー)を見ても分かるように、太平洋から日本海まで高速道路を使わずに1日で駆け抜けるなど、かなりの体力と集中力が要求されるイベントが注目を集めている。しかも、ツーリングは公道走行だ。サーキットのような管理された環境ではないから、一瞬の判断ミス、わずかな注意力の散漫が、取り返しのつかない重大事故に直結する。眠気に負けて対向車線にはみ出せば、それで人生は終わりだ。

ラリーの狂気が生んだ、オーバースペックな装備

クシタニのフォワードアドシリーズの真価を理解するには、その設計思想の根底にあるラリー競技の狂気じみた過酷さを知る必要がある。一見すると従来の秋冬定番モデルであるアロフトシリーズに似ているが、これは表面的な類似に過ぎない。根本的な設計思想が全く異なるのだ。

北海道ツーリングで、編集部伊澤が着用。寒がりな伊澤が北海道を回り切れたのは、アロフトのおかげ

KUSHITANI
アロフトジャケット・パンツ
¥70,400・¥49,500

ラリー競技の残酷さは想像を絶する。その最高峰ダカールラリーでは、全開アタックのSS(スペシャルステージ)区間と、移動中心のリエゾン区間を1日に何度も繰り返しながら長いと800kmほどのルートを走破する。それを2週間にわたって戦い続ける。早朝の凍てつく寒さから砂漠の灼熱、南米では標高4000メートルオーバーの高地をゆくこともある。だから、ライダーの装備は地球上のあらゆる気象条件に対応できなければならない。求められるのは快適性・運動性能・安全性能における「ものすごく広い幅」での絶対的な信頼性だ。

極寒地に耐えうるオーバースペックなまでの耐候性。これこそがフォワードアドシリーズである

KUSHITANI
フォワードアドジャケット・ボトムス
¥71,500・¥49,500

この要求水準は、一般的なツーリングウェアの設計思想を軽く凌駕している。このフォワードアドシリーズの説明を受けに株式会社クシタニの櫛谷信夫さんへ会いにいくと、「フォワードアドシリーズは、日本のツーリングにはオーバースペックなんです。正直やりすぎた感があります。日本のツーリングや速度域では、なかなかその凄みは見えてこないと思う」と悩みを吐露された。ならば、僕らの出番である。アウトバーンをひた走り、アルプスを越えるツーリングへ出かけてみようではないか。

地獄のコンディションから始まった真の試練

今回のテストは、およそツーリングの理想とは正反対の最悪な状況下で実施された。オーストリアで「世界で最も過酷なエンデューロレース」として恐れられる鬼畜イベント、エルズベルグロデオの取材を終えたばかりで、4日間ほぼ不眠不休。肉体的にも精神的にも完全に消耗し切った状態だった。通常なら「今日は1日目だから軽めに」という感覚のはずが、すでに長期ツーリング3日目以上の疲労が重くのしかかっていた。

取材後そのままオーストリアのマッティグホーフェンへ移動し、KTM本社で1290デュークGTと1290スーパーアドベンチャーを借用し、アルプス周遊ツーリングに突入。「気をしっかり持っていないと今日死ぬかも」と本気で思うほど最悪なコンディションでのスタートとなった。しかし振り返ってみれば、この過酷さこそがフォワードアドシリーズの真価を炙り出すのに最適な試練だったのである。

27℃から5℃まで。対応できる気温のレンジの広さに驚く

出発時の気温は27℃。この暑さの中でツーリングジャケットなど着ていられるのか、正直不安だった。しかしフォワードアドのベンチレーションをすべて全開にして走り出した瞬間、その不安は一気に吹き飛んだ。当初は「さすがに暑いな」と感じていたのだが、走り出すと風の通りが素晴らしく、「この調子だと標高が上がったら逆に寒すぎるんじゃないか」と心配になるほどの冷却効果だった。

ジャケットの胸部ベンチレーションの構造は、首元からのファスナー操作により胸パネルが大きく斜めに開く仕組みで、肋骨周りという人体の中でも最も効果的に冷却できる部位に巨大なエアインテークを確保できる。背中両脇のファスナーによって背面全体をメッシュパネル化することで、正面からの大量吸気を背面から効率的に排出する、完璧な空気循環システムだ。

内部の3D立体メッシュ構造により肌への不快な密着を完全に回避し、高速走行時のバタつきも皆無。30-35℃という真夏日でもなんとか対応可能なんじゃないか、と思える調節幅の広さには、心底驚かされた。もはや、メッシュジャケットに準ずる通気性である。停車時はじわじわと暑くなるが、走り出せばすーっとリフレッシュされる。

ステルヴィオ峠。世界に名だたる道はスゴイ

ツーリング2日目、標高の上昇とともに気温は容赦なく急降下していく。イタリアの有名スポット、ステルヴィオ峠では5℃まで低下し、雨も降り始めた。頂上付近では雪が深々と積もる悪条件となり、撮影作業と並行しながらの峠越えで、時間の経過とともに過酷さが倍増していく。疲労困憊、低体温症の危険、視界不良。すべての悪条件が重なった極限状態だった。

ところが驚くべきことに、この地獄のような状況でも寒さを全く感じなかった。これは大げさな表現ではない。本当に、まったく寒さを感じないのだ。レイヤリングは夏用インナー、モトクロス用のスパッツ、それに気温が下がってきてから着込んだポーラテックのストレッチフリース。持参したダウンジャケットは最後まで出番がなく、終始軽快な動きを維持できた。

こちらはスイスのベルニナ峠だ。見ての通り、気温10度を下回る寒さ

しかも素晴らしいのは、ベンチレーション調整による微妙な温度コントロールが可能なことだ。標高変化に伴う急激な温度変化にも、フリースの脱着を必要とせずベンチレーション操作だけで対応できることが多かった。システムとしての完成度の高さに、改めて舌を巻いた。

雨が苦痛でなくなることで、ツーリングへの視界が開けた

実は、土砂降りの雨に遭遇した時、最初は迂闊にもベンチレーション開放のまま走行してしまい、胸部にかなりの浸水を許してしまった。「やばい、さすがにこれは体温が下がってしまう」と焦ったのだが、Tシャツを着替えてベンチレーション内部の巧妙な折り返し構造を適切に閉じた瞬間に完璧に雨をシャットアウト。この瞬間の安堵感は、言葉では表現しきれない。

至る所に折り返しがついていることで、防水性能を発揮する

フォワードアドの防水構造は独特だ。フロント部分は3点ボタン、マジックテープベルクロ、折り返しのついた内側フラップという三重の砦で守られ、最内側にようやくメインファスナーが姿を現す。各段階で雨水の侵入経路を徹底的に遮断する、まさに要塞のような設計だ。さらに表生地自体も高い撥水性を持ち、体の丸みに合わせた立体裁断を実現している。

これまで20年以上のツーリング経験の中で、雨天走行は常に苦痛でしかなかった。どんなに高価で評判の良いジャケットを着ても、必ずどこからかじわじわと浸水し、「早く宿に着いて乾いた服に着替えたい」という焦燥感に駆られるのが常だった。雨=苦痛という公式が、脳に深く刻み込まれていたのだ。

ステルヴィオ峠は気温5度。雨に降られたが、それでも身体は冷えない

ところがフォワードアドでは、この20年間の固定観念が木っ端みじんに砕け散った。雨に対する恐怖心や嫌悪感が完全に消失し、純粋にライディングそのものに集中できる。この心理的変化は、単なる快適性向上などという生易しいレベルを超えている。安全性の根本的な革命だ。恐怖や不安、不快感から解放されたライダーは、冷静で適切な判断を下すことができる。頭では理解していたが、実際に体感することで目の前の霧が晴れていったような気分だった。寒さと滑りやすさの恐怖で身体がこわばり、動かなくなることでどんどんコンディションが悪くなっていく、あの雨のストレスが一切なくなることが、いかに素晴らしいことか。ヤマハのSR400に乗っていた父親に「バイクに乗るならヘルメットはちゃんとしたものを使うこと」と言われていたが、もし自分の息子がバイクに乗るなら「バイクに乗るならジャケットとパンツ“も”ちゃんとしたものを使うこと」と言い聞かせたい。それほどまでに、安全のために重要な装備だと感じたのだった。

160-180km/hの高速でも完璧な安定感

時間に追われた我々は、アウトバーンで160-180km/hという速度域での走行を余儀なくされた。雨天かつ疲労困憊という最悪の条件下での高速走行。普通なら恐怖で身がすくむような状況だったが、フォワードアドはここでも期待を裏切らなかった。

適切なセッティングによりバタつきは皆無。まるでオーダーメイドのスーツを着ているかのような一体感で、風の抵抗を受け流していく。そして驚くべきことに、この極限状況でも水の侵入は完全にゼロだった。高速走行時の防水性能は、風圧により雨が考えられないような角度から侵入を試みるため、通常のジャケットでは絶対に対応不可能な領域だ。それをフォワードアドは完璧にクリアしてみせたのである。

これはラリー競技での高速走行を想定した設計思想の勝利だった。競技で戦うために生み出された技術が、我々のような一般ライダーの極限状況を救ってくれたのだ。技術に命を預けるという言葉があるが、まさにその通りの体験だった。

雪山ヘルメット回収大作戦で証明された運動性能

3日目、ステルヴィオ峠で信じられないヘマをやらかした。不注意でヘルメットを崖下に落としてしまったのだ。雪に覆われた急斜面を往復1時間かけて回収するという、まさかのサバイバル体験が待っていた。バイク装備のまま雪山登山をするという、メーカーも想定していないであろう過酷なテストが始まった。

氷河の上を歩いてヘルメットを救出にすることになってしまった…

ところがフォワードアドジャケット・パンツは、この予想外の試練にも見事に応えてくれた。関節の動きを全く阻害することなく、まるで登山ウェアを着ているかのような自由に動くことができた。発汗による不快感もなければ、寒さを感じることもない。内蔵プロテクターにより、万が一の転倒時にも安心感が確保されていた。バイクから降りてのアクティビティにも対応できる汎用性の高さに、改めて感動を覚えた。

このトラブルにより貴重な2時間をロスし、残りの行程は文字通り時間との戦いとなった。休憩なし、食事なし、ひたすら走り続ける強行軍。3日間で1100kmという数字だけ見れば一般的なツーリングとして控えめだが、撮影を並行した密度の濃さは尋常ではなかった。

標高変化も激しく、ガーミンの記録を見ると軽度の高山病症状まで確認された。安静時心拍数が60を超え、HRV(心拍変動)も異常値を示していた。息苦しさを感じながらの走行で、本来なら1週間かけてゆっくり楽しむべきルートを3日で強行突破するという、無謀極まりない挑戦だった。

それでも最後まで走り抜けることができたのは、間違いなくフォワードアドシリーズのおかげだった。体温を奪われることなく、常にベストコンディションを維持できたからこそ、この狂気のスケジュールを完走できたのだ。

体が震えるほど感動した体温調節

寒さが人体に与える悪影響は、想像以上に深刻だ。まず体が強張り、無意識のうちにニーグリップを強くしてしまう。上半身も硬直し、まるでロボットのような不自然な姿勢での走行を強いられる。これが筋肉疲労を招き、さらに精神的ストレスが加わって、集中力の著しい低下を引き起こす。この悪循環が進行すると、事故リスクが幾何級数的に高まっていく。

フォワードアドシステムは、この恐ろしい悪循環を断ち切ってくれた。上半身、腕、胴体、足先に至るまで、身体のすべての部位で適切な体温を維持してくれた。一つひとつの快適性能が積み重なって、最終的に安全性の劇的な向上をもたらす。これは単なる快適装備ではない。命を守る安全装備なのだ。

登山の世界では身体を濡らすことで死につながる可能性がある。濡れた衣服は容赦なく体温を奪い続け、本人が気づかないうちに生命力を削り取っていく。極限の登山でなくとも、レジャーでのキャンプ経験者なら、雨に濡れたまま一夜を過ごす地獄の辛さを理解できるだろう。バイクツーリングでも全く同じ現象が起きる。いや、むしろ風速を考慮すれば、ちょっとした独立峰の稜線よりも過酷だろう。

20年の憎悪を愛情に変えた奇跡の体験

正直に告白しよう。僕は20年間、ツーリングを憎んでいた。学生時代の貧弱な装備、980円のフリース、3000円のカッパ、980円のグローブ。この悲惨な装備での雨天走行がトラウマとなり、「ツーリングなど所詮は苦行でしかない。サーキットでライディングプレジャーを楽しむ方が遥かに合理的だ」と心の底から信じ込んでいた。

映像班、村岡さんとのツーリングであった。村岡さんは、フォワードアドのファーストロットを着用。セカンドロットでは、生地の耐水圧を向上しつつ動きやすい柔らかな生地に進化した

業界に入って20年、数え切れないほどのツーリングに参加したが、心から楽しいと思えたことは一度もなかった。常に「早く終わらないかな」「今度は車で行こう」という逃避願望に支配されていたのだ。そんな僕が、フォワードアドシリーズとの出会いにより、再びツーリングの魅力を発見できた。これは単なる装備の性能向上などという次元を超えた、人生観の根本的な転換だった。

チロル山脈の美しいワインディングロードを駆け抜けながら、「ああ、ツーリングって本当は楽しいものだったんだ」という感動で胸が熱くなった。20年間封印されていた純粋な喜びが、一気に蘇ってきたのだ。これほどまでに人の価値観を変える装備が、果たして他に存在するだろうか。

フロントの前立ても防水用に折り返しがある

なにげに気に入っているのは、巨大なポケットだ。しっかり蓋がされるところも好印象

パンツの裾はオフロードブーツをすっぽり包み込める設計。アルパインスターのモトクロスブーツを合わせたが、これで正解だった

袖などのアジャスターはもちろん完備

今回は、KTMから1290アドベンチャーS、1290 DUKE GTをお借りすることができた。この2台についてのインプレは、また後日別稿にて