オートバイによる北極点・南極点到達、パリ・ダカールラリー二輪部門へ日本人として初挑戦するなど数々の偉業を達成してきた風間深志氏が、モンゴルへツーリングの旅に出る。休養日となる3日目は、釣りをしにオルホン川へ向かう
大河オルホンの巨大魚と、古都カラコルムの歴史を巡る
260kmのオフロードを走破した翌日の休養日。9月9日の朝である。
ゲルの窓から差し込む光は柔らかく、草原を吹き抜ける風も、どこか穏やかに感じられるレストデイだ。「今日は走らなくていい……」と、そう思うだけで身も心もリフレッシュする気分になる。ただ自然の中で過ごし、モンゴルを身体中に感じる一日なのである。
朝食後、日本から持参した釣り道具を持って、仲間とバイクを走らせ向かったのは有名河川オルホン川の上流だった。見下ろす大河は周囲の山々とその草原が織りなす丘陵地帯の中を悠々と流れている。両岸の緑が水面に映り込み、穏やかに、どこまでも続くかのように美しい。その岸辺に椅子とテーブルを並べ、頬に爽やかな風を感じながら川面に向かってフィッシングロッドをキャストする……。ここまで走って来た数日間とは、まるで別世界。
最初にロッドを震わせたのは待望のモンゴルの大魚、あの“イトウ”だった。力強い引きに手元が痺れた。そして、なんとなんと午後には50cmオーバーの“小口マス”も釣り上げることができた。何ともラッキーな展開となったが、他の仲間たち全員は苦戦模様? 結局のところ、釣果を得られたのは自分だけだったから、何だかとても申し訳ない気分……、釣れなかった仲間たちに対してとっても気を使うのだったが、(釣り上げたから言うのではないが)魚が全ての結果では決してなく、静かに、モンゴルの川と自然に釣りを通じて触れ、親しむことが出来たことの意味自体に、魚の何倍もの価値があり、この旅に相応しいスタイルがそこにあると思った。
明けて翌日の10日もレスト。走りは最小限にとどめ、「カラコルム」の町を散策した。今では人口僅か9,000人ほどの小さな町となっているが、かつて(13世紀)はモンゴル帝国の首都として世界中の人々がここに集まり盛んに交易をした。都の中には大居住区やイスラムの寺院があり、仏教徒のための寺院、キリスト教の教会もあった。日本では源頼朝の鎌倉時代だった頃である。広く世界の人々に向かって門戸を開き、あのヨーロッパにまで達する大帝国を築くに至ったチンギス・ハンの計り知れない度量を感じることの出来たカラコルムの街だった。訪れた博物館の中には、そのチンギスの時代から受け継がれてきた遺物が数多く展示され、この地が世界の中心であったことを雄弁に物語っていた。
町を後にして、今度は進路を「東」にとって、この旅の起点となった「ウランバートル」方面に北側から折り返す。道ゆく大平原には、時折(本当に時折なのだ)点在するゲルの白い屋根、羊を追う牧民の姿が見てとれるが、どこぞの観光地とは程遠い、超の付く素朴さと穏やかさが何とも心地良いのだった。昼は湖沿いの岸辺に腰を下ろし、シンプルなランチを楽しむ。地元の食材を使った料理は、決して豪華ではないが大地の恵みを感じさせる味わいだった。
走ることだけが旅ではない。土地の自然に触れ、人の真顔に触れ、歴史をたどり、訪れた地の風土の中に展開する人々の営みを見て、感じることが世界を知ることであり、モンゴルツーリングの醍醐味なのだ。
夕暮れに草原の地平線に沈む太陽を眺めながら、仲間と焚き火を囲んだ。火の揺らめきと草原を渡る風が重なり、心がゆっくりと解きほぐされていく。この大地で過ごす時間は、ただ単に走るだけでは味わえない心の充足感と、真の豊かさとを教えてくれるものだった。
——そのような休養日に近い2日間を終え、明日からまた再びオフロードとの格闘が始まる。大地の厳しさと美しさを胸に刻みつつ、モンゴルのオフロード・ツーリングは後半戦へと進んでいく。