来年1月3日からはじまるダカールラリー2026への参戦を目前に控えた藤原慎也が東京の渋谷で記者会見。メインスポンサーである株式会社松尾製作所の松尾社長と登壇し、プロジェクトの始動、国際ラリーでの経験、参戦権獲得、そしてCRF450RX RALLYのシート獲得に至るまでの経緯を語った

出会いとプロジェクトの始動

MC:
まずはプロジェクトの3年間、いかがでしたか藤原選手?

藤原選手:
思ったよりも早かったですね。3年って長いのかなと思っていたんですが、困難が多かったせいか、本当にあっという間でした。なんとかここまで来られたと感じています。

MC:
では後ほど、そのあたりも深く伺っていきます。松尾社長はいかがでしょうか。

松尾社長:
藤原選手の言う通りで、本当に早かったです。「昨日のこと?」と思うくらいでした。進むにつれて厳しさも分かってきて、本当に行けるのか心配もありましたが、今回こうして参戦が決まって本当に嬉しく思っています。

MC:
ありがとうございます。では、お二人の出会いから伺いたいのですが、藤原選手、松尾社長との最初の出会いは?

藤原選手:
2023年の8月頃、四輪のパーツなどを製造している松尾製作所に仕事の商談で伺ったのが初めての出会いです。

MC:
スポンサーの話ではなかったんですね。

藤原選手:
はい。最初は完全にビジネスとして伺いました。

MC:
社長、当時の印象はいかがでしたか。

松尾社長:
最初はビジネス相手という認識でした。日本トップのライダーだとは知らず、「趣味で乗っている人なのかな」と思っていたくらいで。話をしていく中でプロでありトップだと知りましたが、その段階ではスポンサーの話は一切ありませんでした。

MC:
第一印象はワイルドだったのでは?

松尾社長:
驚きました。ただ話してみると非常に論理的で、ビジネスの進め方も上手い。本気で物事に向き合っている方だと感じました。今もビジネスをご一緒しています。

藤原選手:
2回目に伺った際、社長が社員さんに「藤原選手知ってる?」と聞いたら「社長、この人は神様ですよ」と言ってくださって。それをきっかけにレースの話になりました。その時「夢は何?」と聞いていただき、「ダカールラリーに出たい」という夢を初めてお伝えしました。

松尾社長:
本当に“ノリ”で「行っちゃいますか」と言ったのが始まりでした。ダカールがどれほど大変かはまだ理解しきれてなかったんですが、日本でモータースポーツをもっと知ってほしいという思いもあり、そこから動き始めました。

モロッコラリーと参戦権獲得の舞台裏

MC:
プロジェクトは順調でしたか?

藤原選手:
全く順調ではなく、不安ばかりでした。世界のラリーに挑戦する中、初めてのモロッコラリーではトラブルが続き、海外出発の日になってもマシンが手元にない状態で関空から出発したほどです。

MC:
最も大変だったのは?

藤原選手:
初めて出たモロッコラリーです。ロードマップが記号の羅列にしか見えず、走りながらページもめくらなければならない。さらに最終日前夜に食中毒になり、不安だらけでした。ダカール参戦には指定大会の完走が必須なので、なんとしても完走しなければならなかったんです。

MC:
ナビゲーションは自動ではないんですね。

藤原選手:
手元のスイッチで巻き取りつつ進む方式です。

松尾社長:
そのアナログさがいいんです。デジタル化しすぎるとラリーらしさが薄れると思います。

MC:
社長には随時報告が?

松尾社長:
グループLINEで状況が送られてきました。怪我もあり心配でしたが、まずは無事完走してほしいという思いでした。

MC:
そして参戦権獲得の知らせが届いたわけですね。

藤原選手:
寝る前にレターが届いて、震えるほど嬉しくて眠れませんでした。翌朝社長に報告しました。

松尾社長:
本当に嬉しかったです。お金でどうにかなる世界ではなく、人のつながりと条件の積み重ねで初めて得られる権利ですから。一緒に挑戦できることを誇りに思いました。

世界限定50台のマシンと、挑戦を支える仲間たち

MC:
続いてマシンのお話ですが、特別なバイクだそうですね。

藤原選手:
本当は日本メーカーで挑みたかったのですが、市販レーサーがなく断念しかけていました。そんな中、ホンダが「CRF450RX Rally」を世界限定50台で発売すると発表し、イタリアのRS Moto代表シモーネから「お前の分は用意してある」と連絡が来たんです。念願のホンダで挑戦できます。

MC:
今日、シモーネさんとET-KING(※1999年に大阪で結成したJ POPユニット)から応援メッセージも届いていました。

藤原選手:
本当に嬉しいです。砂漠ではきっと曲が頭の中で流れていると思います。

松尾社長:
私も毎日聴きますよ。

MC:
準備状況はいかがですか。

藤原選手:
ダカールは“8割が準備”と言われるほど大変ですが、順調です。マシンはスペインから船でサウジアラビアへ向かっており、ゼッケンは125。出発は12月29日です。

MC:
クラウドファンディングも好調ですね。

藤原選手:
250人以上の支援をいただき、本当に励みになっています。バイクを知らない方やダカールを知らなかった方からも応援していただいています。

MC:
では最後にメッセージをお願いします。

松尾社長:
これまで多くのものを背負い、仕事もレースも同時にこなし、ここまでたどり着いてくれたことに感謝しています。事故のないように、しかし攻めて完走してきてほしいです。

藤原選手:
この3年は嬉しいことも苦しいこともたくさんありましたが、今日ここに立てていることを誇りに思います。あとはダカール8000kmを走り切り、日の丸を掲げて帰ってきます。全力で頑張ります。

——3年間の挑戦を経て、藤原慎也選手はいよいよダカールの舞台へ向かう。松尾製作所との出会い、人脈に支えられたマシン獲得、数々の試練を乗り越えて得た参戦権。
会場で語られた言葉は、そのすべてを背負って走る覚悟の表れだった。