日本人とエルズベルグロデオ。田中太一の軌跡

2010年、トライアルのトップランカー田中太一がエルズベルグロデオの本戦に日本人として初参戦、予選で失敗して5列目スタート。圧倒的に不利な状況から13位での完走は、この世界の住人を震撼させた。それまで、日本ではほとんど取り沙汰されることが無く、マニアックな海外レースとしてとらえられていたのだけど、田中太一が完走をしてみせたことで一気に過熱。Off1.jpの私稲垣は2013年からこのエルズベルグロデオに密着を続け、2019年で5回目の取材となった。

2013年、田中太一4度目の完走の瞬間

Erzbergrodeo Taichi Tanaka footage by Enduro.J

youtu.be

田中太一エルズベルグにおける戦歴

2010年 13位
2011年 7位
2012年 5位(河津浩二も参戦、DNF ※DNF=do not finish)
2013年 7位(3人目の水上泰佑が参戦、DNF)
2014年 DNF

2015年には田中の意思を引き継いでモトクロスライダーの矢野和都が参戦するもののやはりDNF。で、5人目の挑戦者として2018年石戸谷蓮が5カ年計画でチャレンジ中だ。

石戸谷蓮

石戸谷蓮のエルズベルグにおける戦歴

2018年 DNF
2019年 DNF

エルズベルグには、GNCCで感じたようなトップの世界がある

石戸谷は、元々スピードが問われる耐久とレースJNCCから芽を出し始めたライダー。モトクロスを素地に持つこともあって、ハードエンデューロとは遠い位置にいたが、いつのまにか自らハードエンデューロを主宰するようになっていた。2018年に石戸谷は、こんな形でインタビューに答えてくれている。

「元はと言えば、やはり太一さん(田中太一)の影響です。活躍はもちろん知っていて憧れていたんですけど、一緒にエンデューロクロスを作ろうとしていた時期に、いろんな話をされました。特に、フィニッシャーの価値や、ライダーとしてそこに進むべき価値を存分に感じることができました。僕はジャンルに固執したくなくて、オールマイティにスキルがあるライダーこそが今後の日本に必要だと思っているので、ハードエンデューロに取り組んでいます。

2016年に、KTMジャパンから派遣されてGNCCに参戦させてもらい、その時にすごく感じたのは、今まで聞いてきたスムーズに走ること、そのことだけでは足りないのだということでした。スムーズさを極めてもレベルは上げられない、GNCCのトップは常にプッシュしているし、バンクやギャップへの当て込み方もハンパじゃなくて、これが本場のXCなんだ! と思いました。自分に足りないのは、マシンを押さえ込む力や、いつも攻め込んでいるための熱量だったんだと。

エルズベルグには、たぶん僕らがいま日本で見ることができないハードエンデューロの本当の姿があると思うんです。それをまずは肌で感じて来たい。それが1年目にやることです」と石戸谷は言う。すでにいろんなところで5ヵ年計画が語られているが、当然魔の山エルズベルグを1年で制することができるとは思っていない。

5年の意味

「2年目は、確認です。1年目で知ったことを日本に持ち帰って、消化しきれているかどうか。そして、3年目からは3年連続での完走を目指します。

5ヵ年計画ですが、5年かけて完走では遅すぎる。楽しんで乗るなら、僕は何歳でエルズベルグに来てもいいと思います。でも、結果を伸ばしていけるのは今しかないと思っていて、1年で得られる経験値を最大限にアウトプットできるのは、この3年がピークだと思っています。だから、3年目でフィニッシャーを目指さないと意味がない。

特に、今年(2018年)からエルズベルグはWESSの1戦に組み込まれました。このことや、マシン、エキップメントの進化は、レースのレベルをさらに押し上げると思っています。5年かけて完走を目指していたら、この進化のスピードにおいて行かれてしまうとも感じるのです」

と。大方予想を裏切る大胆な目標だけど、石戸谷はこの5年でめまぐるしい成長をしてきていて、自分でもそのメソッドを確立できていると感じている。今、この自信の中でチャレンジすることに、大きな意味があるのだ。

エルズベルグのレベル

難所として有名な、ダイナマイトを上から眺めたとき、本当にどこを走るのかわからなくなる。ここを上ってくるのだと聞いて、そのレベルの計り知れなさを知った。田中は、そのダイナマイトで激昂し、実の父親に「どこや、ラインは!」と怒鳴りつけたという。トライアル世界選手権のランカーでもあった田中がラインを見つけられないのだ。

名所、ダイナマイト

何年もインタビューを重ね、3年同行した上で、ようやくそのレベルの片鱗が見えてきた。

一つ言えることは、田中の実力があまりに日本のハードエンデューロの中で突出していたことだ。2番手との差は、埋まるようには見えなかった。このことは、たぶん全日本トライアルを観戦するとわかると思う。今、トライアルを牽引しているトップライダー達は、世界戦をシーズンで体験して、みな「世界でトップに立つ」ことを目指し、もう少し手を伸ばせば手が届く、そんなライダーばかりだ。藤波貴久(2004年世界チャンピオン。日本人唯一)だけがスゴイのではなく、日本のトライアルは純粋にレベルが高い。田中は、その「トップライダー達」のうちの一人だったわけだ。

世界に通用する、日本のトライアルトップランカー(黒山健一)

いわば、彼らエリートに立ち向かうことは、聞こえはいいが、実際問題数年でひっくり返せるような差ではない。幼い頃から、一生のうちの最も脂がのった時期に華開くよう、一心不乱に取り組んできたのだ。

前置きが長くなってしまったけど、田中であれば完走は堅かった。

完走のレベルを考えるにあたって、矢野の戦績も参考になる。矢野はセンスあふれるモトクロス出身のライダーで、IA2クラスの星として活躍していたが、引退後はダートスポーツ誌の編集部員として働きつつ、エンデューロにチャレンジしはじめた。センスの塊で、さらに努力家だったから、いろんなスキルを次々に身につけていた。ちょっと変わったところだと、引退後にはじめたんだと思うけどギターも相当うまかった。だから、トライアル的なテクニックもスポンジのように吸収していて、田中も「完走できる可能性は十分にある」と見込んでいた。

カールズダイナー。2kmほど続く、極大の岩場を走る。ここをいかに早くクリアできるかが、エルズベルグロデオのキモだ

矢野は2015年、スタート付近のヒルクライムで失敗。1列目スタートのアドバンテージを、ここで一気に吐き出してしまう。1度失敗すれば、有象無象が這い上がってくる中をあみだくじのように上らなくてはいけなくなってしまい、一気になんでもない(といっても、これは完走するレベルのライダーの話)ヒルクライムが難所になってしまう。

それだけが原因ではない。「ビルの2階以上からたたき落とされて死ぬかと思った」という言葉をよく覚えているけど、4時間の時間制限の中、もがきにもがいた矢野は「ここからがエルズベルグの見せ所」と言われるカールズダイナーまで、たどり着けなかった。僕と田中は、カールズダイナーで街惚けていた。矢野は、完走できる可能性の線上にいたのだろうか。2年目の挑戦はなかったから、今となってはわからない。